がもがもミシュガット

この世の全ての物を独断と偏見で適当に採点する!


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ZED
  1984年、大道芸人を中心として結成されたシルク・ドゥ・ソレイユ(以下「シルク」)は、斬新なエンターテイメント性と、高い芸術性で、あっという間に世界のエンターテイメントのトップ集団に君臨するようになった。特にエンターテイメントの街と呼ばれるアメリカのラスヴェガスにおいて、ここ10年間の街の牽引役としてのシルクの存在を否定することは誰にも出来ないだろう。

 フランス語で「太陽のサーカス」という意味を持つシルク(そういう意味で言うと「シルク」という略語はおかしいんだけどね(^_^;))は、フランスの団体という訳ではなく、カナダのフランス語圏であるモントリオールに本拠地を置く団体である。サーカスと言っても多くの人が思い浮かべる「ボリショイ」などの一般的なサーカスとは違い、動物を使わず、難度の高いアクロバットを中心に構成され、ストーリー性(いたって抽象的ではあるけど)とメッセージ性を持つエンターテイメントを公演することで知られている。

  前例が無いエンターテイメントであり、「○○に近い感じ」というものがない。それがシルクとも言えるんだけど。全米で絶賛され、あっという間に8つのツアーショー(次々と増えているので、すぐデータとしては古くなるけど)と、7つのレジデントショー(常設会場ショー)を持つに至ったシルクだけど、まだまだ日本での「シルク・ドゥ・ソレイユ」としての知名度は低い。…とは言え、「シルク・ドゥ・ソレイユ」を知らない人でも「サルティンバンコ」や「アレグリア」、「キダム」、「ドラリオン」なら知っている人がいるかもしれない。これがシルクのツアーショーのタイトルなのである。たまにいるんだけどね、「サルティンバンコ」って人たちがやってるショーだと思ってる人とか。つまり合計15のチームが現在では存在していることになる。

 それはさておき、常設会場は現在のところラスヴェガスに5つ、フロリダのディズニーワールドに1つ、つい先日オープンしたマカオに1つで、7つある訳なんだけど、実は8つ目の常設会場が日本の東京ディズニーリゾート内に出来ているのだ。

 そんな訳で、長い前置きで申し訳ないけど、世界で8番目のシルクの常設会場ショーである「ZED」のトライアウト公演を見てきた訳だ。前述のとおり、常設ショーは東京以外で7つある訳なんだけど、そのうち5つのショーを見ている。それらに比べると東京の常設会場は箱も舞台も小ぶりな印象だ。幕間(…というのかな?)の30分の休憩時間に外に出るのが自由と言えども、ロビースペースには、今ひとつ余裕が無い感じ。特にお土産好きの日本人にはショップスペースは手狭過ぎるのではないだろうか。まぁ、トライアウトに来ている客は、かなりのシルクファンであることが間違いないので、お土産コーナーが混んでいたのかもしれないけどね。どちらにしても、箱としては、それほど良くない印象。女性用のトイレも強烈に並んでいたようだし。 

 ショーの内容についてはネタバレも関係してくるので、多くは明かさないが、レジデントショーならでは…というの感覚は薄い。どうしてもラスベガスで行われている「O」とか「KA」などの常設ショーを見てしまうと 「こんなもんすか?」という印象を抱いてしまう人も多いんではないだろうか。かなりのシルクファンに限られる感想かもしれないけど。「ツアーでも、出来るんじゃなのか…。ツアーショーを長年バックアップをしてきたフジテレビの助力と日本の技術があれば…」と、わりと思ってしまうのは事実。 

 「O」や「KA」のような驚愕の舞台装置…とは望まないまでも、防火ネットや演目で使用される器具のポールであるとか、視界を妨げ、現実に引き戻すようなものに対しては、常設会場ならではの舞台装置で排除して欲しかった…というのが素直な感想だ。決して技術的に無理を言っているとは思わない。舞台装置の練り込みが足りない気がしたのは残念だ。

 演目そのものも、わりとシンプルで、シンプルなのにキャラクターが周囲を取り巻く感じもなくて、前半は、かなり舞台が寂しく感じた。常設会場では、広い舞台の様々なところで、演目以外にキャラクターたちが取り巻くように動いていて、演目以外の色んなところに目が行き、それを見ることで、また作品への理解が強くなる…みたいな部分もあって、また訪れたくなる一因なんだけどね。シンプルではいけない訳ではないんだけど。

 それでも、オープニングとエンディングは、非常に良いと思う。エンディングは、特に今まで多かった収束していく感覚ではなく、拡散していく感じが良かったなぁ。全体の大きな流れとしては、ディズニーリゾート側か、シルクの意志かは分からないけど、ここが東京ディズニーリゾートであるということをかなり意識して作られているように感じたけどね。主人公ZED(そう、ショータイトルは主人公の名前)よりも、クラウンの方が、実は物語の主導権を常に握っている形というのも面白い。…というか、主人公はクラウン的な役回りなんだよね、本当は。深読みすれば、それも東京ディズニーリゾート的(^-^;)。その構図がエンディングで繋がった時に、ワッと思ってしまった。それまでのモヤモヤ感は吹き飛んだ気がした。

 …とは言えども、シルク好きとしては、手放しで「最高だ!」とは言い難い。…けど、どうなんだろうか。観客の対象としてはレジデントショーを初めて見る日本人、アジア人であって、我々のようにアメリカまで行ってレジデントショーを見ている…という人たちが対象ではないのだろう。基本的には東京ディズニーリゾートに来た人たちで、ついでにCirque du Soleilのショーを見てみようという人たち。せいぜいキダムやドラリオンなどのツアーショーを見たことがある人たちくらいまで…をターゲットにしている…ような気がする。初めてのレジデントショーとして見るならば、非常に素晴らしいショーとして感動できるはずだ。少々、私が気負い過ぎた面もあるのだろう。そんな訳で評価の方は…

 ★・★・★(三つ星)

 …ということで。不満は言ったけど、比較対象が「O」や「KA」なのでね。これがシルク・ドゥ・ソレイユです…というシンプルなショー。いきなり「O」や「KA」を見せられると相対評価としてのショーの凄さが分からないままボンヤリして終わってしまうかもしれない。実はラスヴェガスの1作目も今となっては、割とシンプルに映る「ミスティア」という演目。今後も日本での常設ショーの展開を考えるのであれば、まずはここから…ということで良いのだろう。

 レジデントショーらしく、座席間隔もゆったりだし、ツアーのテントショーしか見ていない方なら、ゆとりある座席に驚くかもしれない。あと、天と地の融合ってのがベースにあるのでわりと空中演目が多くて、前の座席はクビが疲れる(^-^;)。前から二列目だったけど、後半前にクビのストレッチ(笑)。その辺、考えた上で座席指定タイプのチケット屋さんから買うのがいいと思います。

gamou [ [ エンタ ] 演劇等の舞台系 ] comments(3)
ブルーマングループ
ザ・コンプレックス・ロック・ツアー・ライヴザ・コンプレックス・ロック・ツアー・ライヴブルー・マン・グループ Amazonで詳しく見る by G-Tools

公式サイト→http://blueman.jp/index.html

 ニューヨークのストリートパフォーマンスとしてスタートした真っ青な顔の3人組による分類するのが難しいエンターテイメントが、「ブルーマングループ」である。1991年にオフブロードウェイのショーとして人気が爆発し、以後、15年以上もロングランを続けているばかりか、現在では、シカゴやボストンなどのアメリカ国内だけではなく、ヨーロッパでも公演が行われている世界中で人気のショーだ。

 専用の劇場が基本的には必要となるため、なかなか日本での開催が決まらなかったそうなのだが、ついに六本木ヒルズの至近の場所に専用劇場が建設され、12月から公演が始まっている。12月中旬の時点で、1月公演まで全てソールドアウトで、なかなかの人気の度合いが窺えるというものである。

 一度見たら、そうそう忘れそうもない容貌ではあるが(^_^;)、日本人にとって一番思い出し易いのは、すでに6年以上も前のことだが「ペンディアム4」のCMへの出演ではないだろうか。水道管のようなものをチャカポコと叩く青い顔の宇宙人のような無表情な人が思い出せたのであれば、それがブルーマンである。CMでも行っていたが、ドラム缶や水道管などの工業的な製品を打楽器として利用したミュージックパフォーマンスと、バカバカしいギャグ(褒め言葉)を無表情で行うというシニカルさが売りのコントパフォーマンスの融合したステージだ。…ま、強いて一生懸命形容すれば…というレベルだが(^_^;)。

 座席には2種類あるけど、高い8千円台は確か前方数列で、ポンチョがついてくる。ある程度、それだけで推測がつくと思うが、ステージ上から、様々なものが落ちてくる…訳だ。水的なものが(^_^;)。それがイヤでなければ、前述のとおり、コント的なパフォーマンスも多いので、近くで見た方がいいのは間違いない。文字を利用したパフォーマンスもあるので、あまり遠くだとよく見えない可能性もある。座席が後方壁際近くになるのであれば、一応、オペラグラスみたいなものを持って行った方が良いかもしれない。ま、もちろん、無くてもギリギリ楽しめる距離感で作られているとは思うんだけど。

ブルーマングループパーカッション
 さて、このエンターテイメントは、電光掲示板や、リアルタイムのカメラ映像などが駆使(…というほどでもないか)されている。それを上手いことトリック的に使っていたりするが、それを指摘するのは野暮だ。ただ笑うべき(笑)。色々と意味を考えるのもいいのだが、とりあえず必要性は感じない。バカバカしく無駄な行為だと思う(^_^;)。とにかくバカバカしいのだけど、楽器演奏なんかは素晴らしく、「顔が青い」「無表情」というのもあるだろうけど、どこかオシャレさ…というか、洗練された感じがするのは、ステージ設備や回しの上手さがあるからだろう。ちなみにアメリカでは、この楽器が人気で、オモチャとして販売されている。

ブルーマングループキーボード
 一方で、前衛的パフォーマンスに見える部分もあり、何かを一生懸命とらえようとすると逆に置いていかれてしまうだろう。ショーの終了後、呆然とした表情で「意味分かった?」「サッパリ分かんねーよ」「呆然としてたら終わった」と口々に話していた中年男性のグループの会話が象徴している(^_^;)。ただ、あまり難しく考えなければ、子どもなどの笑い声も良く聞こえていたので、家族で見ることも出来るだろう。個人的には六本木という場所に似合ったオシャレなエンターテイメントなのではないか…と思ったりしている。そんな訳で、評価の方は…

 ★・★・★(三つ星)

 …ということで。バカバカしいけど「損したなぁ…」とは少しも思わなかった。また、すぐリピートしたいか…というと、やはりコント部分が大きなウェイトを占めるので、短いスパンでは見たくないけど(^_^;)。とりあえず、多くの方に見て欲しいエンターテイメントではあるかな。とにかく何も考えずに(苦笑)。ちなみに、一番上のDVDは、その音楽的なパフォーマンスが発展してライブを行った際の映像であり、六本木でやっているショーの映像ではないので、お間違いなきように。

gamou [ [ エンタ ] 演劇等の舞台系 ] comments(0)
12人の優しい日本人
公式HP→こちら

 映画「十二人の怒れる男」をベースにして、三谷幸喜が「もしも、日本に陪審員制度があったら…」という「仮定」のもとで描いた1990年初演の作品である。その再々演を映像で見た。そう、もちろん、初演時には日本での陪審員制度うんぬんなどという話が全く無かった訳であり、今、この作品を見ると、当時見た人もまた違った印象を持つに違いない。

 さて、再々演に当たり、全面的にキャストの入れ替えが行われ、江口洋介や、石田ゆり子…などのメジャーな役者さんを多く揃えて(いや、まぁ、別に前がマイナーだ…とは言わないけどね。配役だけで客が来そうな…というか)、イメージチェンジを測っている…んだろう。もちろん、初演、再演は未見だから知らないけど。それで…という訳ではないのだろうが「12人の役者」というのに重きを置いていて、初演、再演ではあった12人の陪審員以外の役をスッパリと切り落としている。これはこれで、面白い試みだよね。

 「十二人の怒れる男」をベースにして…と前述したところであるが、もちろん、そのシチュエーション的なものを借りてきたのに過ぎず、展開は異なるものだ。殺人事件で起訴されたのだがアリバイがある…という女性を「それでいいんじゃないの」「かわいそうだから…」という理由で、なんとなく「無罪」で全員一致で評決しそうになる直前で、突如1人の陪審員が「それで本当にいいのか…」と反旗を翻し、他の11人に「よく議論をしなくては…」と根気よく説得していくのだが…というもの。三谷幸喜が得意とする1場面舞台で、評議室のみで話が進行していく。

 インテリの議論好き、感情論だけで動くオッサン、優柔不断で何も決められない主婦、プライドの高いキャリアウーマンなど、「あっ…いるいる」というタイプの人々が「陪審員制度」という人の一生を左右する決断を迫られる中で、どう揺れ動き、どのように「全員一致」に持って行くのかが見所である。自分自身の姿をどこに投影するのかということでも見え方が変わってくる舞台なのかもしれない。

 もともと無罪で固まりかけていた判断が、一人の情熱によって、一人、また一人と有罪に傾いていく。「なんとなくじゃイヤだから」「もっと良く議論すべきだから」そんな理由から始まった有罪立証だったはずなのだが、異様に熱を帯びていく。そんな中「難しいことは良く分からない」と議論そのものを拒否するような、曖昧な態度で、意見がきちんと言えない人々が、最後まで残っていく。そこからが、いかにも三谷喜劇という形で、予期しない方向ながら、綺麗に収束に向かっていく訳だ。さすがの出来。

 強いて難を述べるなら、伏線の張り方がやや弱く、「ああ、そうだったのか」という納得感は、他の三谷作品に比べると低いかもしれない。あとは、議論の際の熱気が少々不足気味なのかなぁ。キャラクター的に寄りすぎていて、もっと人間的な感情のブレみたいなものが出ちゃう方が、個人的には良いのかな…と。題材が題材だけに。脚本的な問題か、演出的な問題か、役者の演技の問題か…は分からないけどね。

 どっちにしても、私はこの舞台を見て、陪審員になるのが怖くなったねぇ…。人を裁くうんぬんというよりも、現場の他の陪審員との間で軋轢みたいなものが確実に産まれそうな気がするから。本来的には私は議論好きなんだろうけど、面倒に巻き込まれるくらいならダンマリを決め込むのか…とか、本当に色々と考えさせられた次第です(^_^;)。

 そんな訳で評価の方は…

 ★・★・★(三つ星)

 …ということで。また再演して、役者が変われば、空気も変わるんだろうから、あまり意味の無い評価だったりするのかな(^-^;)。

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【7点】 オペラ座の怪人
公式HP→http://www.shiki.gr.jp/applause/operaza/

 「劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい」…という訳で、念願の「オペラ座の怪人」の観劇である。私は劇団四季にズッポリの人間ではないけど、やはりブロードウェイミュージカルを高いレベルで気軽に見せてくれる…ということには敬意を表している。歌の日本語訳や、オリジナルミュージカルでの音楽性など、微妙に賛同できないところはあるけど、それは考え方が色々あるだろうから、ここでは触れまい。大勢の四季ファンがいて、日本の演劇界の大部分を支えているというのは間違いないしね。

 劇場はカレッタ汐留に出来た劇団四季の新しい劇場「海」だ。オペラ座の前は、「マンマ・ミーア」をやっていた劇場である。一足先にアップした映画版「オペラ座の怪人」を見た後、どれほど映画版との違いがあるのか…、あのシーンはどう表現されているのか…などと思いながら、汐留に足を運ぶ。いやー、おしゃれな街だよね。無機質だけど(^_^;)。新橋駅前は、めっちゃ庶民的な景色なのに…。

 それはともかく内容である。「オペラ座の怪人」そのものについては、映画版の評価のところを読んでもらうとして、ここでは映画版との比較などを交えながらの話にしていこうと思う。   

 私は映画版で初めて「オペラ座の怪人」を体験したので、もしかするとオープニングのシーンというのは映画オリジナルなのでは…と思っていたりした。ところが、この舞台版(っつうか、こっちがオリジナルだけど)でも、オークションのシーンから始まり、シャンデリアの登場とともにオペラ座が蘇るんだねぇ…。もちろん、特殊効果を使った映画版の方が凄いんだけど、オープニングで観客を劇に引き込むために考え尽くされた演出には感心させられる。その後は、微妙に内容が違っていたりはするけど、大筋はほぼ一緒だ。1987年だかに初演だったと思うけど、舞台装置も良く考えられていて美しい。やっぱり、ブロードウェイミュージカルの良いところは、こーゆーところにもあるんだよね。いや、四季でアレンジをどこまで加えているのか知らないけど。

 「オペラ座の怪人」はミュージカルの中でも「オペラ座」を舞台にしたもので(当たり前だけど)、ミュージカルでありながら、オペラ的な歌唱力が求められる舞台だ。まぁ、正確な定義を言えばオペラとミュージカルは拡声器(マイク)を使うか使わないかだけの差なんだけど、やっぱり歌そのものから違うことが多いよね。

 そんな中、ファントム役は、やはり凄い。その歌が劇場の空気を変えるのだ。映画版ではジェラルド・バトラーのような歌声で良かったと思うが、やはり舞台の上で行われるのであれば、この歌声か…と納得させられる。この圧倒的な歌声はクリスティーヌが惹かれていくのに、十分な説得力を持っているのだ。ある意味子供のような映画版のファントムと比べると、最後まで狂気に犯されながらも大人であり続ける舞台版と言った感じで、歌声だけ聞いてもテイストが変わってくるというものだ。

 一方、申し訳ないがクリスティーヌと、ラウルには魅力が感じられなかった。歌がどうとか、踊りがどうとか、演技がどう…とか…って、ことじゃなくてね。単純に見た目の問題なんだけど(苦笑)。なんつーのかな、あの世界観の中で浮いてるんだよね、申し訳無いんだけど。そして、日本人がやっているんだから、どーしょもないことなんだけど、あの世界観の中で時折現実に引き戻される感じがあるんだよなぁ…。だからと言って、宝塚みたいにバリバリに仮装に近い状態でやって、どう見えるのか…ってのも分からないんだけど…。これが日本人がやる「オペラ座の怪人」の限界なのか…と思ってしまう。「ライオンキング」とか、「美女と野獣」とかでは感じなかったんだけど、さすがに前日に映画版を見たのが良くなかったのか(苦笑)。とにかく、この二人に魅力が薄い分、余計にファントムに肩入れしてしまって、クリスティーヌは薄情で嫌な女で、ラウルは小賢しい若造にしか見えん(^_^;)。

 そして一番不可解なのが、終盤マスクを取ったファントムが、なぜか髪の毛までマバラになってしまうところだ。確か序盤でクリスティーヌがマスクをはぎ取った時は、黒々としたオールバックの髪があったはずなんだが…。ズラでマスク?(^_^;)。ごめん、ちゃんと細部を見ていなかったのかもしれないので、真相を御存知の方は教えていただきたい…。

 そんな訳で、どちらかというと欠点の方を上げることの方が多かったけど、やはり大元が大元なだけに、あくまで詳細な部分ではある。もちろん、ミュージカル特有の話の浅さはあるにせよ、やはり名作であることは間違いない。ただ個人的には、映画に軍配をあげたいところだね。この点数は、惜しみない拍手を送ったファントムに捧げたいところ。

gamou [ [ エンタ ] 演劇等の舞台系 ] comments(0)
【7点】 星の王子さま
ミュージカル 星の王子さまミュージカル 星の王子さま宮崎あおい サン=テグジュペリ 岡田浩暉 Amazonで詳しく見る by G-Tools

公式HP→http://hoshinooujisama.jp/

 世界的に有名なサン・テグジュペリ「星の王子さま」の舞台である。もちろん、言うまでもなく今までも幾度と無く、世界中の舞台で公演されているはずだ。主演は以前から演技派と言われて注目度が高かったが、昨年の映画「NANA」の大ヒットで一気に知名度も高くなった「宮崎あおい」である。正直「NANA」という作品に興味がなく、どちらかというと食わず嫌いな面があるため、中島美嘉の引き立て役?くらいのイメージしかなかったところ。「星の王子さま」は、箱根にある「星の王子さまミュージアム」に行ったことがあるにもかかわらず、原作は未読であったため、「まぁ、話をきちんと把握するためにみてみようか…。バックの大きい豪華なミュージカルっぽいし」という理由で鑑賞した(^_^;)。今回はBS−iでの鑑賞だ。

 ちなみに、日本では岩波書店が翻訳権を持っていたんだけど、原作の日本での著作権保護期間が昨年初頭に切れたことを受けて、一斉に他の出版社数社から新訳が出版されたんだよね。結構ニュースになったし、それを機会に原作に触れた人も多いのかもしれない。全世界で5000万部、日本でも600万部売れているというスーパーベストセラーである。

 さて、ストーリーは砂漠に不時着したパイロットが途方にくれているところで、一人の少年に出会うところから始まる。それが遠い星から来た王子様で、自分が自分の星から出てきた経緯と、地球に辿り着くまで回ってきた他の星の話を聞くことになる…。それぞれの星には、現代の社会の一部分を誇張させたような滑稽な人物が登場し、無垢な心の王子を困惑させる。そして、自分の星にあった火山と一輪のバラが、地球では多くあることを知り、自分の星のものがチッポケなものだと感じてしまう王子…。というのが、大筋である。あらすじだけでも分かると思うが「児童文学」という姿を借りているだけで、痛烈な社会風刺…というより社会批判の物語なのだ。

 で、ミュージカルの内容なんだけど、いい。かなり良いと思う。ローリー寺西や、ブラザー・トムと言った奇抜な?人選の出演者も非常にキャラクターとして良く出来上がっているし、なにより宮崎あおいの王子は瑞々しい感じを受ける。何かを置き去りにしてしまっている大人社会を不思議そうに見つめる純真無垢な王子を、気持ちよく演じていると思うのだ。こーゆー役は演技が上手ければいいだけではなく、やはり本人のオーラみたいなものも必要だと思うんだよね。宮崎あおい演じる王子の大人社会への素直な疑問は、薄汚い自分に突き刺さるんだよねぇ…。力演…と言っていいんじゃないかな。
   
 舞台装置などは、他の「星の王子さま」を見たことが無いので分からないけど、全般的にメタリックながらも、どこか暖かいカラーリング…という印象を受けたかな。メタリックな色が無機質な大人社会を表現しつつ、暖かいカラーリングがファンタジーっぽさを演出している感じで、なかなか面白いなぁ…という感じ。地球のセット以外は、どこか空虚な感じがするというのも演出の一貫だろう。軽い気持ちで見始めたのが、ググッと引き込まれていくのは嬉しい誤算だな。

 王道ながら見せ場があり、コミカルさもあり、良作だと思います。残念ながら、ミュージカルなのに耳に残る曲が個人的に無かった…というところが減点。もっと歌声が迫ってくるようなシーンがあっても良かったと思うんだけどね。いっそ、ストレートプレイでも…と思ってしまう。演劇としては8点くらいあげてもいいんだけどねぇ、ミュージカルだと微妙に肩すかしを食らう気がするな。

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【8点】 ポップサーカス
公式HP→http://www.pop-circus.co.jp/

 今現在、日本にサーカスの団体は4つある…らしい。木下サーカス、キグレサーカス、カキヌマサーカス、そしてこのポップサーカスである。正直なところ、カキヌマサーカスはネット上でも追えないので、もしかしたら現在は活動していないのかもしれないけど…。

 平成7年と平成8年に、相次いで2つの日本のサーカス団が無くなった時期、このポップサーカスは立ち上がったそうな。つまり創設されてから10年経っていない、新興のサーカス団体と言っていいだろう。木下サーカスも、キグレサーカスも、小さい頃に見た記憶があるんだけど、このサーカス団体は知らなくて、最初にCM(tvkで流れてたんだよね)を見た時には特別イベント的なサーカスなのかと思ったくらいだ。

 最近、シルク・ド・ソレイユからの流れで、相方がサーカスにはまっていることもあって、それじゃ行ってみようか…という流れになった訳だ。シルクの公演となると1万2000円くらいだけど、ロシアの国立ボリショイサーカスだと5000円くらい。そして、日本のサーカス団だと、だいたい3000円前後が相場である。ポップサーカスは、当日売りで2800円+指定席券600円で正面の席…なのかな。うちは、もちろん指定席券を購入したけど。600円くらいケチってもね…(^_^;)。 

 さて、会場は所謂サーカステントなんだけど、冷暖房は完備されているので、その辺は快適。もちろんコートを脱いで、ちょうど良いくらいの室温だけど。飲食関係も、軽食レベルならある。肝心の客席なんだけど、基本的には中央前方のステージを囲うような形で階段状に座席が用意されている。一般的なサーカススタイルなのかな。…でも、ちょっと傾斜が足りない。我々は10列目ぐらいだったんだけど、ステージの床面で行われているアクトは、かなり見づらかったように思う。子どもならなおさらなので、子どもさん連れは、ちょっと奮発してステージサイドの「ファミリーボックス」って席にするのがいいかもしれない。ちなみに定員は1500名。

 サーカスの内容なんだけど、動物を使ったアクトはドックショーだけで、基本的にはアクロバットやジャグリングがメインのサーカスである。日本で言うなら、キグレサーカスの方に近いのかな。展開も比較的オーソドックスなサーカススタイルで、一つ一つのアクトが入れ替わり立ち替わりって感じ。前半はラバーアクション(逆バンジーみたいな感じでアクロバットをする)から始まり、雑伎系の鳴りごま(シルクとかだとディアボロと言われている)、ジャグリング、バランスアクト、コントーション、ドッグショーなどが前半で行われ、そこで休憩。正直なところ、やってることは、それなりに凄いんだけど、全体的に完成度が低い感じ。演出的も、技術的にも。もちろん、演出的な話はシルクとかと比べてどうとかって話じゃなくて、ほんとにちょっとしたことなんだけどね。だから、正直なところ「まぁ、こんなもんかぁ」と思って見てたりしたんだよね。

 ところが休憩を挟んで後半に入ると一転。技術的にシルクに勝るとも劣らない高アクトが連発。動物を使ったクラウンのアクトも秀逸で、もう後半だけで大満足ですよ。この値段で、このアクトはレベルが高いんじゃないだろうか。アクトを説明するのは難しいので、上記の公式HPから確認してくれ…としか言いようが無いけど、空中ものは、どれも素晴らしいアクトだと思うね。     

 お近くにポップサーカスが来た際には、見に行くことをオススメする。でも、カタログとか公式HPを見た限りでは、出演者の出入りも激しい感じがするので、今日見たアクトが次の公演でもやっているかどうかは分からないんだけどね(^_^;)。でも、サーカス冬の時代にわざわざ立ち上げただけあって、凄い気概を感じるサーカスだったね。動物ショー絶対主義でなければ、必見…ということで。特に後半ね(^_^;)。    

 ボリショイの時も、前半部分は「こんなもんかぁ」と思って見ていた記憶があるので、そーゆーもんなのかな。コストパフォーマンスだけ考えれば、もう1点あげてもいいと思うくらいは、楽しませていただきました。

gamou [ [ エンタ ] 演劇等の舞台系 ] comments(0)
【7点】 KITCHEN(キッチン)
公式サイト→こちら

 えーと「またか…」と思われるかもしれないけど(^_^;)、蜷川幸雄氏演出の舞台である。1959年ロンドンで初演以降、世界22カ国で上演されてきたというイギリス現代演劇の傑作…らしいですな。舞台は、ロンドンのとある繁盛しているレストランなんだけど、題名のとおり、厨房を中心に…というか厨房のみで話が展開していくというものだ。ある1日のキッチンに出入りするコックやウェイトレス、オーナーなどの姿を追ったの群像劇である。

 初演が1959年なので、舞台も1950年代のロンドンのレストラン…な訳だけど、それほど意識して見る必要は無い…と思う。私も、これを書くにあたって公式サイトを見るまで知らなかったし、見ていてもそんなに違和感はなかった。…なんて紹介しても、今回の作品はDVD化が今のところ、されていないみたいなので見れないか(^_^;)。それでも、1950年代の作品だ…と分かっていて見ると、それはそれで、また違った見方や解釈が生まれてくるとも思うけど。 

 さて、このレストランには様々な国のコックやパティシエが働いている。イギリスはもちろん、イタリア、ドイツ、アイルランドなどなど…。仕事内容はハードかつルーチンワークと化していて、いわゆるストレスフルな職場になっている。その上、前述のような出身国の違いなどもあって、職場の人間関係自体も上手くいってはいない。ここで1950年代である…ということを考えると、戦後から10年ちょっとしか経っていないため、その辺の国家間の関係性を引きずっている様子も分かるんだろうね。その中で、それぞれの従業員が抱える悩みが、厨房という閉鎖空間の中で見えてくる…という訳だ。

 まぁ、ただ、正直なところ、ストーリーは散文的なので、普段あまり見ることのないレストランの厨房という職場の空気感を伝えるのが作品のポイントであり、この作品の面白さでもある訳で。比較的のんびりした朝の仕込み風景から始まり、地獄のようなランチタイムへ突入、そして休憩を挟んで、またディナータイムへ…という流れの中で話が進んでいくんだけど、この辺の表現は秀逸。特に厨房が忙しい時間帯に向かっていく辺りのテンポアップは、ストーリーとは何も関係ない部分で、ショーとして成立するくらい面白い。まさに戦場…といった雰囲気だ。

 この舞台では、厨房1セットのみで話が展開されていて、フライパンやお玉…などの調理器具は実物が小道具として使われているが、料理そのものは何もなく、そこはパントマイムによって成立させているんだけど、それも素晴らしい。動きにリアルさがありつつ、パントならではのスピード感があるからだ。実際に料理が上に乗っていたら、ウェイトレスの動きも鈍るだろうし、コックの腕も重くなるからね。

 さて、ストーリーの方だけど、一応主役らしき人物は、ドイツ人のペーターになるんだろうか。ペーター役の成宮君が一番上に来てるから(^_^;)。その成宮君演じるドイツ人のペーターが、自分に進むべき未来が見えて来ないことに焦燥感を覚えて、ある出来事をきっかけに事件を起こし、今までギリギリのラインで固まっていた職場が崩壊するまでを描いている。そこには、前述のとおり出身国による考え方の相違もあれば、オーナーと労働者、管理者(チーフコック)と非管理者、コックとウェイトレス、男女問題、職種差別…など、職場に関するあらゆる問題が詰め込まれている訳で。

 で、主役の成宮君は、蜷川氏に見込まれているらしく、蜷川舞台に複数回登場しているらしい。確かに日常に対する不満を四方八方にまき散らす一見暴力的に見えるけど、実は繊細な青年…という役どころを立派に演じているとは思うんだけど…、残念なことに声の通りが悪い。ハスキーな声で大声かつ早口でまくし立てるシーンなどは、何を言っているのか聞き取れないこともしばしば。私はいつも通りWOWOWで見ている訳で、テレビ収録の音声でこれでは、劇場に居た人には、かなり厳しいはずだ。反響とかもあるし。他にも若手俳優さんには、ちょいちょい発声が悪い人などが見受けられたり。この辺、ロミオとジュリエット…の時のも思ったけど、蜷川さんって、あんまり頓着しない人なのかな(^_^;)。パッション優先?

 でね、存在感を出しているのが、成宮君の相手役の杉田かおるだ。なんだろうねぇ…、だてに天才子役と言われた上に、波瀾万丈な人生を送ってきていない…というか。タレントとしてバラエティ面ばかりが目に付く中で、本当の才能を今更ながら見せられた…という感じ。この人はバラエティタレントではなく、女優ですね…当たり前の話かもしれませんが。  
   
 全体的に重苦しい緊張感に満ちているので、個人的には、それほど好きなタイプの作品じゃないんだけど、やっぱり厨房の情景描写のシーンは見ものだ。ここを見るだけでも、迫力があって面白い。WOWOWで放送しているので、今後DVD化もあるかもしれないけど、レンタルが無いからねぇ…この類のソフトは(^_^;)。買ってまで…って感じではないと思う。それでも、私個人の意見でいうと、声の通りの問題とかを考えると、舞台よりも映像作品としての方が面白いかもしれないねぇ。そんな感じで。

gamou [ [ エンタ ] 演劇等の舞台系 ] comments(0)
【4点】 ロミオとジュリエット
B0009H9ZJQ蜷川幸雄×藤原竜也×鈴木杏 ロミオとジュリエット藤原竜也 W.シェイクスピア 藤原竜也 Amazonで詳しく見る by G-Tools

 「シェイクスピア」…演劇人なら一度は挑戦してみたいと言われる力量が問われる脚本だ。難解で詰め込みに詰め込まれた長ぜりふは、演出家や役者に重くのしかかり、力量の無い演劇人は、その馬脚を現してしまうのだ。そんなシェイクスピア劇において、蜷川氏は本場ロンドン公演を行った際に「ニナガワは世界のどの演劇人よりもシェイクスピアを表現する方法を知っている」と評されるくらい、シェイクスピア劇の演出で評価が高い。その蜷川氏が、この公演の1年前にハムレットを行った時と同じ藤原竜也、鈴木杏のコンビを使う…ということで、非常に期待があった作品だ。

 さて、まずこの公演で目に付くのは、その舞台装置だ。三段階の高さに分かれて階段状(…といっても、ひとつの段が2mくらいあるみたいだけど)になっている舞台装置が一つだけというシンプルなもの。その装置には扉や、ハシゴや階段がつけられ、場面場面でその装置が表現しているものが変わるというスタイルで、この辺は鉄格子がドーンと置かれていた「ハムレット」と同じような指向性の舞台装置だ。ただ、その装置の表面はシンプルなものではなく、世界中の男女の巨大な顔写真が貼り付けられている。世紀の悲恋を世界中の恋人たち?が見守っている…という意図らしい。

 で、この装置だけど、装置としての役割は悪くない。うまく一つの装置で様々なものが表現されていると思う…んだけどね。デザインは、やっぱりちょっと…と言った感じ。ハッキリ言って、巨大な顔写真と向き合うのはうるさい。意図は話を聞いて分かってはいるが、そんなもんが体現できているとも、演出的にプラスになっているとも思えない。とりあえず奇抜なことをやってみました…的なレベルを出ていないと思う。失敗なんじゃないかなぁ。

 内容の方なんだけど、実はロミオとジュリエットなんてのは、他の劇団などでの公演はもとより、話そのものもあらすじレベルでしか知らない。御承知のとおり、私は悲劇の恋愛ものなんて、もっとも見ないジャンルのものだからね(^_^;)。だから今までの「ロミオとジュリエット」の常識が分からないんだけど、徹底してロミオとジュリエットを「純粋=子ども」として描いていることが、この作品の特徴なんじゃないかな…と思う。いわゆる「家同士の確執」うんぬん…というよりは、結局のところ「大人と子ども」の立場の違いによる悲劇…なんだととらえている感じ。

 衣装もロミオやジュリエットを始め、ロミオの友人たちなどは簡素なものだ。まるで町のチンピラのような格好で、上半身など裸同然のものもいる。これだけだと、いわゆる「衣装ではない役者の表現による想像力の…」などというものになりそうなんだけど、親の世代は、簡素ながらもそれなりに当時のイタリアの衣装を再現していることから考えると、記号的に「大人」と「子ども=若者」を分けているように見える。悲恋…なんて話を現代に見ようとすると、ジュリエットなんてハイティーンなイメージがあったんだけど、実際には13歳の女の子なんだよね。ロミオもまたしかり。実際には、本当に子どもなんだよね。

 それゆえに純粋で、自分の身を焦がすような情熱をもって愛することが出来る…という解釈なのかな。蜷川さん的には。劇中に驚かされたのが、あまりにも純粋な思いゆえに、このロミオとジュリエットに「笑い」が起きることだ。あまりにもドリーミンなロミオとジュリエットの表現は、ついクスッと笑ってしまう。でもね、「大人には滑稽に映るほど、その愛は純粋過ぎた」ということなのか!…と笑った後に、衝撃を受けるんだよな。決して笑いを取るための演出じゃなくて、純粋さを突き詰めていったら笑いになってしまった…という感じなんだよね。

 ただ、ロミオとジュリエットの悲劇の始まりは、結局のところ純粋さゆえの愚かしさが招いている…ように見えるので、見ていてイライラすることも確かだ。ドリーミンなロミオとジュリエットには、正直なところ「バカっぽい」という感想しかなかった(苦笑)。その辺がこの作品の分岐点だと思う。結局、恋愛ものが好きか嫌いか…って感じなのだろう。藤原君は言うまでもなく、舌ったらずな感じの鈴木杏(そのせいで台詞密度が濃くなると、台詞が聞き取りづらくなる場面があったけど)は、良い演技だったんだと思う。

 でもね…寝ちゃいました(爆)。よほど、この手の話が嫌いなんだろうねぇ…俺は(^_^;)。ロミオが追放になる裁定が下った後に寝てしまい、気が付いた時には、ロミオもジュリエットも死んでたという(苦笑)。だからと言って、ロミオとジュリエットが私の思い描くイメージどおり、親に振り回されていく…という演出だったとしても、やっぱり寝てただろうね。

 私は「ロミオとジュリエット」が嫌いなんだなぁ…と思い知らされましたよ。それゆえ、このような点数ではあるけど、舞台装置はともかく、劇としては悪くない(全部見てないくせに言うなって感じだけど)と思うんだよね、たぶん。「ああ、ロミオとジュリエットって、こういう物語だったのか」とイメージをあらためる演出と、それを納得させるだけの表現力もあったと思うし。

 セカチューとかが好きな方は、きっとハマれると思う。まさに元祖純愛物語だね。 

gamou [ [ エンタ ] 演劇等の舞台系 ] comments(1)
【3点】 ジンガロ オペラ・エケストル
B000BU6OLI騎馬オペラ・ジンガロ/オペラ・エケストル
ジンガロ


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 2005年に初来日して、かなりマスコミでも取り上げられた「騎馬オペラ」と呼ばれるジャンルのエンターテイメントである。「ジンガロ」は劇団名…だと思われ、「シルク・ド・ソレイユ アレグリア2」みたいな題名だと思ってもらえればいい。つまり公演名は「オペラ・エケストル」というわけだ。ちなみに、来日時の公演演目は「ルンタ」。

 さてさて、来日した時も各方面で絶賛を受けている感じだったので、かなり期待をして見たんだよね。…ところが、「騎馬オペラ」と称されていたので、それなりにストーリー性があるのかと思って見てしまったのが、失敗。でもね、演出はそれっぽい訳なんですよ。なんと言うのか、ストーリーがあるかのような展開。見始めてから20分くらいして、どう考えても意味がくみ取れない…と言うことに気が付いてからは、もう残りの時間は首を捻るばかり(苦笑)。

 基本的には、シルク・ド・ソレイユのような構成ではあるんだよね。ストーリーを感じさせるようなパートと、騎馬で行うアクロバットパートが交互に差し込まれるような形式で、公演後とに、地域的なイメージを持たせている。オペラ・エケストルについては「アフリカ」と「中近東」…辺りかな。衣装もそうだけど、音楽とかも、そんな感じ。で、ジンガロの主催者的には明確なストーリー性を設けている訳ではなく、それぞれ何かをイメージして欲しい…的な発言をしているらしい。

 本当にある意味シルクと公演スタイルがかぶっている訳なんだけど、なんで自分がジンガロを受け入れられないのか…見終わった後に考えてみた。そこで出た結論は、世界観に幻想的な部分が無いんだよね。非常に現実感がある…と言うか、物質感がある…というか。衣装は普通に民族衣装だし、特に化粧とかしている訳でもないしね。そして、何より馬。圧倒的な存在感と現実感があるんだよなぁ。

 だから意味の分からない展開で、好き勝手想像してください…と言われても、そういうイマジネーションを司る脳の部分が刺激されないんだよな。シルクは展開が抽象的であっても、世界観そのものが幻想的に創られているので、それに包まれている中で演目を見ている感じがするんだけど…ん〜、そんなとこなのかなぁ…。ちょっと上手く表現できていない…と自分でも思うところだが。

 騎馬アクロバットは本当に凄い。それは間違いない。歌もズシッと来るものが多くて、非常にいい。…だけどね、どうも一体感のあるエンターテイメントとして見ることが出来なかった。少なくとも、映像を通してでは…ね。実際に見に行った人は、馬の美しさとか躍動感とか蹄の音とか砂煙とか…ある意味、その圧倒的な馬の存在感に感動を受けていたみたいなんだけど、それなら競馬場でもいいじゃん…とか思ったりして。そう、つまり敢えて「騎馬オペラ」という形で見ること、シルクで言えば単なるアクロバットサーカスではなく、シルクの演目として見ることに価値を見出すことが出来なかったみたい…自分的に。

 現場で見れば違うのかなぁ…。でも、少なくとも、これを見てしまうと、ちょっと怖くてチケットを購入して、見に行く気が起きないんだよねぇ…。とりあえず、映像で他の演目も見てみるべきか否か…それすら、微妙に悩むなぁ…(^_^;)。

gamou [ [ エンタ ] 演劇等の舞台系 ] comments(0)
【2点】 走れメルス
野田地図公式HP→http://www.nodamap.com/
走れメルス紹介→こちら

 野田秀樹と言えば「劇団夢の遊眠社」でお馴染みの…と言いたいところだが、すでに新しい劇団「野田地図(Noda Map)」を作って、10年が経とうとしているらしいので、そうも言えない(^_^;)。とは言え、宮沢りえ主演の「透明人間の蒸気」が高い評価を受けていて、その存在感は増し続けている…と言ってもいいだろう。

 その野田秀樹が野田地図の10周年記念公演に選んだのが、この「走れメルス」である。この「走れメルス」は、実は30年近く前の作品であり、前劇団の「夢の遊眠社」の初期に発表された作品だ。すでに何度も再演されており、今回が7回目…だったかな(^_^;)。ちなみに、野田秀樹は俳優としても活躍していて、昨年の大河ドラマ「新選組!」では、飄々とした勝海舟を演じていたのが記憶に新しいところ。

 そんな訳で、この「走れメルス」なんだけど…うちの相方は「透明人間の蒸気」を見ており「面白かった」と言っていた。実は、私は野田演劇を見るのは初めてであり、何の前知識もなく見ることになったのだが、それなりに期待していた。深津絵里、中村勘太郎、小西真奈美、古田新太…と、実力派だけでなく、フレッシュな顔ぶれも混ぜているしね。

 「走れメルス」なんて題名を見ると、「走れメロス」のパロディかな…なんて思うのかもしれない…けど、別にそうゆうことはない。いや、まぁ、なんでしょうか、マニアックな見方をすれば、どこかにオマージュ的なこともあるのかもしれないけど、とりあえず全然関係ない。

 えーと、最初に言ってしまうとしよう。点数を見れば分かるかと思うんだけど、面白くない。少なくともテレビ画面で見た限りでは(WOWOWで見たので)、全く面白くない。他の野田作品を見てないので良く分からないけど、端的にこき下ろしてしまうと「青臭いインテリの自慰行為作品」って感じ。物語は支離滅裂で、時間も空間もあったもんじゃない。言い回しが面倒な上に、かけ言葉なんかも多くて、9割以上の観覧者が意味が分からないまま、劇が終わるはず。

 一応、劇のあらすじらしきものを説明しておくと、この劇は「こちら岸」と「向こう岸」という2つの世界がそれぞれ平行的に進行していく。「こちら側」では、芙蓉という少女に恋する「久留米のスルメ」が、少女の下着を盗むことでしか愛情を表現することが出来ず、悶々と過ごしている。「あちら側」ではスーパースター「メルス・ノメルク」が呼ばれた結婚式で騒動に巻き込まれていく。そして「こちら岸」と「向こう岸」がリンクし始める時…物語は…って感じ。まぁ、全部説明しても分からない…というか。説明できない…というか(笑)。

 もちろん、一つ一つの意味を考えずに感覚的に見れば、テーマ的なことをいくつか拾うことが出来るのだが、なぜそうまでして、何かを見つけ出さなければならないのか…。野田氏のファンは「台詞の意味が分からないのは、私がバカだから。野田さんほど頭が良くないから」と言う。…んなわけあるか!!時間かけて、自分の頭の中で世界観作って書いている本人と、リアルタイムで直接入力の情報から世界観を構築させられる観客が同列で語れる訳ねーだろ!!(^_^;)。結局、インテリ君が「僕の深淵な世界観は、一度見たくらいじゃ分からないよ。フフン。僕は大衆に媚びないからね」みたいなものに見える訳で。もはや、楽しむどころの話じゃない。だって、最初からバカにされてる訳だからね。見ていて気分が悪い。

 …とは言うものの、こんな小劇場的な芝居をやりながら、これだけファンを作ってきている…というカリスマ性があるのも間違いないとも思うんだけど。とにかく動きも台詞も多くて、シェークスピアか、橋田壽賀子か(^_^;)…というくらい台詞の嵐が続く。その上、ダブルミーニングや、回文(上から読んでも下から読んでも意味が通じるって奴ね)があり、登場人物たち自体もそのダブルミーニングによって、すれ違っていく…なんて感じなので、考える時間が無い。詰め込まれている情報量が、異常に多いんだよね。この辺の台詞の使われ方は野田氏のオハコらしいので、ここまで…ではなくても、ある程度、特徴的なもんなのだろう。回文が重要な意味を持つのは「久留米のスルメ」「ノメル・スメルク」という二人を見ても分かるとおり、「こちら岸」と「向こう岸」が合わせ鏡の状態であることを示すもので、そのキーワード「鏡」は、芙蓉が愛用いる鏡に集約されている。

 まぁ、なんですか。単純に「向こう岸」は芙蓉の妄想であり、それに現実が引っ張られている…という解釈がまずあった上で、その上に現代の消費社会や、マスメディア社会への警鐘なんかを重ねていて、さらに純愛、しかもその身まで焦がすような…って感じ…ってことで、自分を無理矢理納得させられないことも無い(ちなみに、俺的解釈ね)けど…さ。そう思うには、端々の「?」をコジつけていく作業が膨大に必要であり、そこまでして演劇を見るのもイヤだな…と感じてしまう。なぜそこまで、貴重な時間を潰して、野田秀樹の言葉パズルに付き合わなければならないのだ?…と疑問に思ってしまうんだよなー。

 余暇の使い方は人それぞれであり、私が「ドラクエ」をやっている時間は、人によっては無駄だと思われるだろう。そう、堀井氏(ドラクエの話を作ってる人ね)の話を60時間とかかけて聞いている訳だからさ(苦笑)。だから、この野田氏の遊びにハマってしまった人は、何度も見に行ってしまうのだと思う。ん〜、それこそが野田氏の考える「演劇」なのかなぁ…。簡単に消費されない、消費させないもの、古典となって残るもの…。そう、シェークスピアのような。…なんて、考えてしまうところが、東大卒のマジックだよな〜。頭いいんだから、もっと俺のあずかり知らないところで深い考えがあるんじゃなかろうか…みたいな。これだけ書いても鼻でフフン…みたいに野田氏は笑ってるんじゃないか…とか。…そう思うと、また怒りがフツフツとね(笑)<三流大学卒のひがみ。

 でも、物語の意味を考えずに眺めてみれば、深津絵里をはじめとする役者陣の奮闘は、テレビ画面を通してでも多少伝わってくる。特に役者としても出演している野田氏と、古田新太とのアドリブをまじえた…と思う…掛け合いは絶妙で面白い。場面場面の言葉遊びなら、笑いの一要素ではあるしね。でも、それぞれに伏線が…なんて思うと、それすら純粋に楽しめなかったけど。

 ま、ともかく。単純に言えば抽象画な訳だ。普通の人が見て、理解することは出来ない。その筆の走りの素晴らしさ(怒濤の台詞、役者の熱演)から、なんとなく「ああ、いい絵なんだなぁ…」と感じるのが精一杯だろう。ちなみに、私は抽象画が嫌いなので、こーゆー作品も嫌い(^_^;)。だって、物語の意味が分からないのなんて、イライラするもん。見終わった後。相方なんか、途中で完全に寝てたし(苦笑)

 まぁ、野田氏贔屓の人たちが見ているということを差し引いても、概ね「意味は分からないけど、面白かった」という評価らしいので、劇場で見た人は、また感想が違うのだろう。ただ、あまりにも皆の評価が良さげだったので、あえて「意味分からん。つまらん」を声を大にして言ってみた。それにしても、野田作品一発目が、この作品というのは失敗したかなぁ…。なんか、もう次の野田作品見る気力が湧かないかも…。

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